ジョイカムの住む宮崎県都城市から香川県丸亀市まで約730キロ、クルマで約9時間かかる。前日の8月17日に丸亀まで移動して、市内のスーパーで買い出しを済ませ(島にはお店がないことが多い)、夕刻のフェリーで出発点となる本島(ほんじま)へ渡った。夕日が讃岐広島と佐柳島を浮かび上がらせていた。
8月18日午前8時、本島の北側にある屋釜海水浴場を出艇。天候は快晴、風は微風、とにかく暑い。海は濃緑色で、透明度は1mぐらい。夏の瀬戸内海は濁るらしい。
塩飽は瀬戸内海の中でも本州と四国が接近し、かつ多くの島々が点在する狭隘エリアである。必然的に潮流が複雑になり、流れも速くなる。潮流が複雑にぶつかり合い、海底から潮が湧いているようにみえることから、塩飽(しわく)と呼ばれている。
しかし潮の流れが速いからといって、シーカヤックで恐れるところではない。潮汐時間をしっかり把握し、海図をよくにらめば、ルート設定も容易だ。潮汐は外洋の海流と違い、時間ごとに流れの向きが変わる。逆潮と追い潮にしたって、同じ距離を漕ぐのに2時間かかるか40分で漕げるかの違いぐらいである。島嶼間も8キロを超えることはない。1時間も漕げば、すぐ最寄りの島に上陸することができる。岬付近は激しい瀬波が現れることがあるが、それもせいぜい数百メートル以内の局地的なものだ。穏やかな瀬戸内に時々出逢えるドッキリ・エリアだと思えば良い。
むしろ地形に影響される潮流の変化を間近に体験できる、シーカヤックおすすめエリアなのだ。
最も気をつけなければならないのは、大型船舶や漁船だ。すぐ近くに備讃航路や水島航路が走り、大型船舶がひっきりなしに通っている。この航路を横切るのは、たとえば東名高速道路をハイハイしながら横断するようなもので、危険きわまりない。海図にもしっかり赤線で書いてあるので、決して横切らないこと。また漁船もこちらを見ていないことが多い。
往路は本島〜広島〜手島〜小手島〜佐柳島とアイランドホッピングしながら順調に漕ぎ進んだ。15分ごとの水分補給を定期的に取りながら、午後3時半頃、佐柳島の砂鼻と呼ばれる砂浜に到着した。500m沖に小島という△島があり、また遠くには瀬戸内海の島々がいくつも見える絶景地だ。そして静寂に包まれている。聞こえてくるのは、遠くを航海する船舶のエンジン音だけ。海は凪なので波音すら聞こえない。
ここは1世紀前まで先祖が暮らした島だ。何かの足跡をさがすべく、島内を散策することにした。
佐柳島(さなぎしま)は標高248.5mの高登山(たかのぼりやま)を中心とした南北に細長い島で、山裾が海岸まで迫っている。周囲6.6km、南に本浦(ほんうら)、北に長崎という2集落がある。寅吉の出身である瀬戸家は本浦に数軒あり、長崎にはない。したがって本浦出身であると考えられる。
島民は約100世帯150名。平均年齢が75歳を越える超高齢化の島である。小中学校はなく、子どもは一人もいない。子育てする若い夫婦もいない。島には主要産業がなく、刺し網漁やタコつぼ漁など漁業が産業の中心だが規模は零細で、農業もイモ・マメなど自家消費用の生産にとどまっている。誠に静かに時の流れている島なのだ。
本浦の南に乗蓮寺という真言宗のお寺があるので訪ねてみた。瀬戸家の菩提寺でもあるという。
佐柳島は日本の葬制を知る上で貴重な「両墓制(りょうぼせい)」が残っていて、亡骸を埋める「埋め墓」と、お参りする「参り墓」とがある。乗蓮寺の境内にも所せましと墓が並んでいて、参り墓であるという。
乗蓮寺を参拝しているとき、佐柳島の郷土史研究家で、以前よりジョイカムとメールのお付き合いをさせていただいている浜田さんが声をかけてくれた。そして乗連寺にある冨蔵の墓を教えてくれた。サンフランシスコで病没したのち、仲間の水夫が彼の遺品を持ち帰り、ここに墓を建立してくれたという。心を込めてお参りさせていただいた。
続いて瀬戸武一さんという93歳の長老のお宅をお訪ねした。突然の訪問にもかかわらず、90歳の奥様と、隣にお住まいの95歳のお姉様が歓迎してくれて、私の話を聞いてくれた。
結論からいうと、我が曾祖父の寅吉の生家については、何も分からなかった。寅吉が佐柳島を出て讃岐広島の向所家に婿養子に来たのは、今から約110年前のことなのだ。90代の長老に聞いても分からないことだった。
しかし重要な共通点がいくつか見つかった。瀬戸武一さんの伯父が同じ「寅吉」ということ。先祖の名前を繰り返し使うことの多かった当時のこと、同じ先祖を持つ可能性が大である。次に寅吉の長男は武一(ぶいち)といい、お訪ねした瀬戸武一(たけいち)と同じ文字であること。そして、両家ともその後天理教を信仰しているということである。状況証拠はたくさん見つかった。それだけでも大満足だった。
昭和初期この島の人口は約2,000名あり、山の上まで段々畑が続いていたという。しかし農地に適した土壌ではなく、他に主要産業もないこの島は、経済的に貧しいところだった。寅吉は次男だったが、佐柳島に分家を立てるほどもなく、30歳過ぎまで独身で過ごした。瀬戸家も向所家も人名の格式があったので、人の紹介で讃岐広島村の向所家に婿養子に来たのだと思われる。
現在は、当時の壮大な段々畑も雑木林になってしまい、集落のすぐそばにある石組みの畑にその面影を偲ぶにとどまる。
話は戻るが、お訪ねした瀬戸家の皆様には、突然の訪問にもかかわらず大変喜んでくださり、帰りには記念写真を撮り、握手を求められ、お土産にたくさんのジャガイモ、タマネギ、卵を持たせてくれた。島の人情に心が熱くなった。
翌8月19日は、潮汐の関係で午前10時に佐柳島を出艇。ぐるっと島を周回してから、下げ潮に乗って讃岐広島の青木に渡り、茂浦では向所家のお墓参りも済ませた。1世紀前の先祖と同じ海を漕いでいることに、ジョイカムの血が目覚めるような気がした。
そして広島と本島の間には、大潮の干潮時に出現する園州(そのす)と呼ばれる広大な砂州がある。潮汐が生み出す不思議な現象に自然の大きな呼吸を感じた。上陸を試みたが、突然の雷雨に遭い、あわてて本島に避難し、約30分間雨宿り。晴れ間が見えたので、そのままゆっくり屋釜海水浴場にゴールした。
今回の塩飽諸島ツーリングでは、ジョイカム Jr.ことK太も連れて、親子でダブル艇を漕いだ。往復50キロ、漕行時間は10時間に及んだが、K太はほとんどパドルを休めることなく力強く漕いでくれた。父親として息子をたくましく感じ、嬉しかった。そして親子で一つの大きな冒険にチャレンジし、達成できたことに、大きな意義を覚えた今回のツーリングであった。